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2022年2月11日

駒場の思い出とフレンチレストラン

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先日、語学水準のCEFRのことを書きました。分かりやすいように英検や共通テストの例を出して説明してみましたが、まだ具体的なイメージがつかめないという人もいるかもしれません。たとえば私がドイツに留学した時、あるイギリス人と親しくなり、1週間くらい一緒に過ごしましたよ。その時、彼から「君の英語は流暢で、C1レベル(英検1級)はあると思うね」と言われましたよ。そういうふうに、ヨーロッパでは市民の日常生活に溶け込んでいる、語学学習プロジェクトの一つの語学到達水準なのです。

では、本日の話題に移ります。私がドイツに留学した時、とても日本のことが好きな女性教授がいました。その人はドイツ語ぺらぺらでドイツ人なのですが、生まれたところはロシアで、中学生までロシアに住んでいた人でした。そのため、ロシア語と、ドイツ語、英語を自由に操れる能力を持っていました。私はそのことを知った時、「ははあ、その人の日本好きは、ロシア人の魂だな」と勘ぐったものです。ロシアと日本は、市民の草の根交流が盛んで、姉妹都市連携も多く結ばれており、ロシアには日本が好きな人がフランスより多いと言われています。それはさておき、ヨーロッパにはこのような語学堪能エリートが大勢います。

その女性教授が、私が東大の大学院生だった時、日本に遊びに来ました。仕事で来日したのではなく、心から日本好きであるため、友人とプライベートで日本に旅行に来たようでした。その際、私が在籍していた東大大学院総合文化研究科がある駒場キャンパスに立ち寄ってくれたので、駒場周辺を案内しました。

私が正式な形でドイツに留学したのは、東京大学修士課程の修了後になりますが(もっとも、それまでに色々な面接や試験は受けていました)、すでに学部学生の頃から、師事したいドイツの大御所学者(男性の教授)のもとを訪ねており、そのときに同僚の女性教授を紹介してもらい、親しくなったのでした。

うららかな季節でした。春だったか夏だったかは忘れてしまいましたが、私がいつものように院生室で文献や史料を読んでいると、女の子の院生が、「C.W.教授が、女友達と、日本に遊びに来ていて、いま駒場キャンパスの正門に着いたところだ」と教えてくれたのです。私は急いで、正門前で待ち合わせする約束をして、C.W.教授と彼女の女友達と、駒場キャンパス正門前で落ち合いました。ふだんはドイツでしか会わないドイツ人教授ですが、大好きな日本への旅行が叶って本当にうれしそうでした。

それから私は、爽やかな木漏れ日が降り注ぐキャンパス内の雑木林を通って、「林の中にポツンと佇むレストラン小屋」といった感じの風情溢れるフレンチレストランへ、二人を案内しました。駒場キャンパス、本郷キャンパス、両方とも敷地内におしゃれなレストランがあります。

ちょうどお昼時だったので、駒場キャンパス内のフレンチレストランは1階しか開店していませんでした。2階は高級レストランとなっており、ディナータイムのみの営業なのですね。でも、「今日は、特別にドイツから教授が来ているから」とことわって、2階へも案内しました。すると教授たちは、大変喜びました。それから、1階のレストランで、フレンチのランチを一緒に取ると、林の中の木漏れ日が降り注ぐ明るい雰囲気とあいまって、またもや非常に喜んでくれました。

その後、私が通っていた中高一貫校が東大駒場キャンパスのすぐそばにあるため、私はそこへ2人を案内することにしました。途中、駒場野公園という、地元では名の知れた公園を通ったのですが、豊かな自然と、爽やかで明るい雑木林の雰囲気を、2人は満喫してくれました。そして、ニューヨークやベルリンなど、公園や緑の少ない大都市と違って、公園や緑地や緑道などが多いのは東京に住むメリットだね、ということを皆で受けあいました。

それから、いよいよ私が通っていた中高一貫校に着いたのですが、敷地内のグラウンドのそばに、立派で美しい並木道があり、東大の木漏れ日の降り注ぐ雑木林に感動したドイツ人2人は、それよりもさらに並木道に感動してくれました。

それから、長い長い歳月が経ちました。私が師事した大御所学者は、私が留学から帰国して間もなく、亡くなりました。それから多くの市民が、その大御所学者や、大御所学者の人望を慕って集まっていた教授や研究者や院生のことを忘れていきました。別の大学に移った研究者も多く、ドイツのその古都に集まっていた研究者たちの顔ぶれはすっかり変わり――音楽家や学生たちも、そのことを去っていきました――その街自体も大御所学者の死後に変り果ててしまったかのようです。

街そのものが、優しさを忘れ、人望がなくなり、とげとげしくなったように感じられます。皆で会うことが無くなったばかりでなく、助け合いや、支えあい、励ましあいがなくなり、みんな忙しそうにふるまって、自分の生活や卑近な給与のことばかり考えるようになったかのようです。それでは、文化や芸術は発展しないのですよね。

その古都そのものが、18世紀の昔から、大文豪や大芸術家といった「精神的エトワール(精神的・文化的巨星)」を街の中心に持ち上げて文化的に輝いてきた歴史があるので、街を盛り上げる大人物を失うと、覇気や生気、士気や徳や優しさまで低下していくように見えます。みんな会わなくなり、疎遠になり、お互いのことを忘れていき、連絡を取らなくなると共に精神的にも離れていきました。

それでも私は、輝いていたあの時代を忘れませんし、「今は亡き大御所学者を囲んで、老若男女が朝まで飲みかわし、学問論議や芸術論議に花を咲かせたこと」や、「レストランやコンサートホールなどでピアノを囲んで、朝まで芸術に浸って、皆で演奏に盛り上がったこと」を鮮明に覚えています。

その「セピア色の思い出」の一つとして、ドイツでしか会えないはずの女性教授が、私の故郷の一つである駒場に立ち寄ってくれたこと――駒場にうららかな日差しの差し込む、まばゆい昼下がりの思い出――が脳裏に焼き付いています。天国に旅立った大御所学者の業績と人徳、人間的な偉大さと、文化的な巨人性を称えつつ、ここに記させていただこうと思います。

もともとヒトラーの国として底辺(奈落の底)まで落ちたドイツは、戦後、盛んに留学生を受け入れて、そうやって皆で一体となって盛り上がって、「世界に冠たるドイツ」だった19世紀時代の盛んな学問と芸術を取り戻していったのです。

現在、メルケルが積極的に移民難民を受け入れることを表明したことに基づく「欧州難民危機」の中心国としてドイツは新たなフェーズを迎えています。ドイツの全ての都市の至る所に、ホームレスになり果てた移民難民たちが溢れています。ひどい言い方のように聞こえるかもしれませんが、それがEU社会の現実なのです。そして、ドイツ人の心の中から、必然的に、「留学生を歓迎・歓待して、海外から来た人と社会・文化を発展させていこう」という気概が消えていきました。でも私は、留学生を大切にして発展したあの時期のドイツを私は忘れません。

かくいう日本も、あと30年したら「Ph.D. Society」が到来すると予想している大学教授たちがいます。イギリスやドイツやフランスのように、博士号取得者を頂点とする社会になるということですね。一方、アメリカの大学は、ヨーロッパの大学と比べると、まだ社会に馴染んでいませんし、社会に溶け込んでいません。

まず、アメリカの大学は、1年間で膨大な学費・寮費用が掛かります(ドイツ語圏の大学やフランスの大学は学費も寮も無料です)。それでいて、大学院で博士号・修士号を取るのは難しいので、アメリカ人であれ留学生であれ、大学院に長期在籍して半端ない額の学費が必要になるという事態が往々にして起こります。さらに、大学院修了後の「就職が狭き門」となっています。つまり、大学院を出てから大学に残れるのも限られた人だけであるし、大学院で研究した成果を使った職も限られているのです。だから、GoogleやAmazonなどに就職した人が「勝ち組」と見なされるのです。

それに対し、ヨーロッパにおいては、大学院を修了した人が研究成果や学位を使って仕事できる職というのが、たくさん用意されています。また、欧州社会全体に、博士号取得者・修士号取得者を敬うという思潮が、暗黙のうちに了承されています。必然的に、院卒人材の給与も高くなるのです。やはり、中世の昔から、大学や修道院で高度な学問が営まれていたヨーロッパでは、大学や大学研究が社会に溶け込んでおり、大学の存在感や社会性が高いのです。市民たちも大学を身近なものと感じ、教授たちは市民たちに慕われておりますし、皆が一丸となって大学を信頼し大学を応援しています。

アメリカと日本が共通している点は、大学と社会の関係だけでなく、まだ他にもあります。一つは、語学が苦手で、ヨーロッパ人に比べると、高度な語学力が求められる人文科学に向いていない点です。もう一つは、死刑を廃止していない点です。先進国で死刑を廃止していないのは日本、韓国、アメリカだけですが、韓国は、度重なる国連勧告にしたがって、死刑執行を無期限に延期しています。そのため、実質的に死刑を執行しているのは日本とアメリカだけになります。

「もう死刑にしてほしいから人を刺した」という犯罪者のニュースをしばしば耳にするように、死刑はもはや犯罪抑止の効果がありません。それに日本は、死刑廃止条約に批准していなくて、国連からの数度にわたる勧告を無視しています。いみじくも各種のメディアが報じているように冤罪(えんざい)はなくなりませんし、「自分たちに都合の良い社会を作り上げるため、都合の悪い人を排除していく」というアスペクトが少しでもある以上、死刑は廃止して終身刑にすべきではないでしょうか。

以上、駒場の思い出と留学時代の思い出から発展して、ヨーロッパやアメリカの社会を論じました。長くて雑多な文章をお読みくださり、ありがとうございます。

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