理系の人にこそ「詩的なるもの」を大切にしてほしい理由

アシリスタッフのKomabouです。
本日もブログをお読みくださり、ありがとうございます。
さて、夜になっても蒸し暑さが続き、おそらく1年で最も過酷な時期がやってきました。塾や学校の夏期講習に参加している人は、体調を崩さないように気を付けて、がんばってください。
最近、うだるような暑さで、なかなか元気が出ないという人もいるのではないでしょうか。
私は、仕事が休みの日は、冷やしたナスをたくさん食べ、夕方になったらサイクリングに出かけ、精神的なエネルギーを補充しています。
また、首都圏ではコロナが猛威を振るっていますが、野菜や納豆を食べ、体を動かして、免疫を高めて、身体的・精神的エネルギーを補充してこの時期を乗り越えたいものです。
ところで、皆さん、コロナのワクチン接種のペースは、いかがですか。同居している私の母は61歳なのですが、職域接種で2度目のワクチンを打った翌日に発熱し、無理して仕事に行ったところ、バスから降りるときに失神してコンクリートの地面に頭を強く打ちつけました。さいわい大事には至りませんでしたが、2度目の接種の翌日から2日後にかけて発熱や頭痛、吐き気などの副反応が起こることが多いようですので、くれぐれも安静にして乗り越えたいところです。
その母が申していたのですが、「歳をとると、過ごしにくい梅雨や真夏も愛(いと)おしくなる。大変な時があるからこそ、普通の時期が貴重なのだと思う」のだそうです。良い考え方だと思いました。
さて、閑話休題。本日は、「理系の人、特に医学部に進学する人にこそ、「詩的なるもの」を大事にしてほしい」という、雑談のような、それでいて重要なお話です。
「詩」というと、「文学」と同じで、「役に立たたないもの」「実学と違い、お金にならないもの」であるという考えもあり、「詩や文学のために、塾(や大学)にお金を払っているのではない」と言いたくなる読者も、いらっしゃることでしょう。
でも、「詩」と「詩的なもの」は、違います。
私が学生だった頃、東京医科歯科大学の医学部医学科に現役進学した医学生の友人と話したのですが、文学の一ジャンルである詩とは違って、「詩的なもの」「詩的な感情」は重要であると、彼は話していました。彼のいう「詩的な感情」は、英語でいうポエジーみたいなものです。
「生活の一場面でふと思い浮かぶ、昔を懐かしむような感情」や、「ふと少年時代や少女時代を回想していて、たまらなく懐かしくなる気持ち」や、「雄大な自然の景観に接して、畏敬の念とともに湧いてくる感動」や、「音楽や美術など芸術と接していて、心の底から沸々(ふつふつ)と湧き上がるロマンティックな気持ち」や、「散歩やスポーツなどで夕方の公園にいて、ふと沈む夕陽を見つめていると、友情や愛情や身近な人への感謝の気持ちが湧き上がってきて、生きていてよかったと身にしみる」など、日常生活でも得られる「詩的な感情」は、他者を思いやる気持ちを育(はぐく)み、機械に囲まれた現代生活で困難やツラい状況を乗り越える精神力の源泉になります。
それだけでなく、19世紀ロマン派の芸術家が重視したような、「柔和で詩的な感情」は、「痛恨の激情」や「下賤(げせん)な劣情」や「卑劣さや劣悪さ」や「傲慢(ごうまん)や粗暴さ」を人の心の中から追い払うことによって、社会を改善する力となり、また社会の中の分断や差別を解消し、さらに人間の倫理的なレベルを高めることに貢献します。物質文明と呼ばれる機械に囲まれた現代社会だからこそ、理系の人には、人間や社会の道徳的・倫理的レベルを上げる「詩的なもの」を大切にしてほしいのです。
また、医学の進歩によって「医の倫理」が一人ひとりの医療者に求められている今だからこそ、普段の生活で「詩的なもの」に触れる機会があったり、「詩的なインスピレーション」が浮かんで来たら大切にしてほしいのです。困難な受験においても精神力や癒しになるほか、実際に医者になってからは、一人ひとりの患者を大切にし、その行く末を案じる「人間力」「社会力」を養ってくれる源泉となります。人間を大切にする力や思いやりがあれば、開業してからも、たくさんの患者さんがついてきてくれることでしょう。
文学史・美学史のうえでは、この「詩的なもの」に類似したものを取り上げた重要人物はゲーテで、『ファウスト』の最後に「永遠に女性的なるものが、我々を高みへと引き上げてくれる」というように書かれており、その神秘の合唱をリストやマーラーが交響曲に引用しています。