無宗教でも「何も考えないで心を安定させる」という禅のような行為は日本に現存。宗教に関する国際事情

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本日は、昨夜までの天気予報によれば、「暖かくて、よい天気」のはずでしたが、東京多摩地域はたしかに晴天ではありますが風が非常に強く、在宅勤務の人などはなかなか散歩に行く気がしない天候だと思います。
さて先日、授業を終えて吉祥寺駅についたら、クリスマスのイルミネーションが煌々と輝いていました。本場のキリスト教国なら、クリスマスが終わって新年になっても「クリスマスモード」というのは、ありえないことですね。大多数の日本人にとって、宗教は、キリスト教も仏教も神道も、歴史の試験のために覚える以外は、単なる「機会」を提供してくれるものにすぎないのでしょう。初詣、バレンタイン(の商戦)、七五三、「恋人たちの聖夜」という雰囲気のクリスマス(の商戦)などです。
そして、癒しや祈り、「心の清め」といった敬虔で瞑想的な要素を、日本人は時流に応じて様々な物に求めます。たとえば、一時期はやった「癒し系」や、昨今でいうとヨガ、ホットヨガ、岩盤浴などは、「何も考えないで心を安定させる」という、宗教的で瞑想的な要素を含んでいますよね。とても日本的で面白く、それ自体は良いことだと思います。
少し話が飛びますが、日本が好きな人が多い国と言えば、海外在住経験が豊富な私が判断するに、フランスとロシアです。フランスとロシアは、草の根の市民レベルで親日の人が多いのです。フランスは「愛と芸術の国」であり、フランス料理やフランスのスイーツは日本でも大いに親しまれてきましたし、フランス自体も先進国にしては珍しく少子化が進んでいない良い国で、パリという歴史ある都市も、ニューヨークやロンドンと同じくらい優れた都市であると国際的な評価を受けています。その一方、ロシアは、日本と同じく自殺者が多く、意外と多くの社会問題を抱えたままです。日本が好きな人が多い国ですから、ロシアにも明るい未来が訪れるといいですね。
ちなみに、フランスやロシアでは、もちろん韓国も人気がありますが、それでもなお、日本が人気である西洋諸国という事で貴重です。たとえば、ドイツは昔から中国と韓国に肩入れしてきており、「日本人はドイツの技術や学問や音楽に片思いしている」と長らく言われていました。そしてドイツ人は、日本の強みの一つである「すぐれたサーヴィス精神」を学ぼうとする姿勢が全くなく、お金を払ってくれるお客さんに対しても平気で怒鳴りますし、自分が気に入らなければお客さんを突き放したりもします。それに対し、ドイツの周りにあるヨーロッパ諸国は、「日本人のサーヴィス精神から学ぼう」という姿勢があり、ドイツの周辺諸国(フランス、ベルギー、チェコなど)はドイツを嫌う傾向にあるのです。なんだか、面白いですね。
ところで、先ほど日本における宗教の事情について話をしましたが、主としてアメリカにおける宗教やキリスト教の事情を少し解説して、本日は終わろうと思います。キリスト教以外のマイノリティに配慮しようという意図から、「メリークリスマス!」という挨拶をやめて、「Happy Holidays!」という表現を使おうという動きが、アメリカを中心に西洋諸国で見られます。現実的には、「Happy Holidays!」というフレーズを使うのは、クリスマス以外にさまざまな宗教の祝日が冬にあるからであり、「メリークリスマス!」と言われてキリスト教以外の宗教の人が気分を害するという事はないようです。
それに対して、反逆精神をあらわにしているのはキリスト教徒のほうで、アメリカを中心に多くのキリスト教徒たちが、クリスマスの時期に「Happy Holidays!」と言うのは、キリスト教にとって神聖であるクリスマスを冒瀆(ぼうとく)する行為であると決めつけたのです。この点において、現在のキリスト教には、心の狭い偏狭な人がおり、「自分たちの宗教の祝日だけが祝福するに値するもので、他の宗教や他教徒の尊厳や価値を認めていない」傾向にあると言えるのですね。まるで、アメリカにおけるキリスト教徒たちは、中世のキリスト教に戻ってしまったかのようです。
さて、クリスマスからだいぶ経った後で、クリスマス関連の話題となってしまいました。京都などには今なお坊さんが多い一方で、日本が宗教色の薄い国であることにも美点があるという気がしてきましたね。私が留学したドイツも、キリスト教の精神にのっとって「他者に救いの手を差し伸べよう」という見らなうべき姿勢がある一方で、キリスト教の教義に固執している人たちも少なからず見られました。現代における宗教は、資本主義と同じく、一長一短という側面があると言えそうです。