波風を立てない奥ゆかしさ。慎ましやかに振る舞うということ

アシリのKomabouです。本日もブログをお読みくださり、ありがとうございます。
アシリ吉祥寺では、新規に入会して下さる生徒さんを募集しています。どんな方でも、歓迎です。自分の学力に自信がないから大丈夫かなと尻込みせずに、ぜひ積極的に飛び込んでください。基礎ができていなくても叱らず丁寧に教えるプロ講師が、オーダーメイドのカリキュラムを作成いたします。
アシリ吉祥寺では、経験豊富なプロ講師による質の高い授業と良質な受験指導を、リーズナブルな授業料で受けられるのが最大の魅力です。プロ講師陣は、経験豊富で受験指導の専門的なプロでありながら、全員が洗練されたホスピタリティ精神を持っており、生徒たちのモチベーションをガッツリと向上させます。
また、アシリ吉祥寺は、医学部受験生に向けた情報を積極的に発信していますが、文系の生徒さんも非常に歓迎しています。もちろん、医学部以外の理系学部に進学を希望する理系の生徒さんも歓迎です。
こないだの土日は、共通テストでしたね。天候にも恵まれ、受験生たちは今まで培ってきた学力を遺憾なく発揮できたのではないかと思います。共通テストの直前になってオミクロン株が急速に感染拡大したため、受験生を不安にさせまいと敢えて直前のブログでは触れないでおきました。文部科学省からすべての大学に「受験生に配慮するような施策」をとるよう通達があったりと、予断を許さない状況であるのが事実です。
さて、個人主義的かつ打算的な若者が増えてきたと言われて久しいですが、日本社会が明治以降ずっと欧米社会を模範にして発展してきたという歴史があり、また先輩の世代が西側世界の個人主義と資本主義を礼賛してきたという経緯がある以上、ある意味で若者の変化も当然の話です。
とはいえ、まだまだ日本的なコミュニケーションの取り方や、日本的な人間性や人間関係、奥ゆかしさなども日本社会には残っており、私はそれらを時折いおとしく感じるときもあります。
私は若いころ、英会話スクールに勤めていたことがあり、各地の英語圏出身の人たちが集まっていたので、アメリカやヨーロッパのような自由な雰囲気がありました。それに比べると、予備校や塾には日本らしさが残っていますね。
たとえば、日本人は、ドイツ人やアメリカ人に比べて、波風を立てないように消極的に生きている人が多いです。そうやって慎ましやかに振る舞ったほうが、職場にも迷惑をかけず、自分にとっても利益となるのでしょう。それに対して、アメリカやドイツでは、どんどん自己主張していかないと「自分の存在感」が薄まっていってしまい、自分にとって大きな不利となります。
そして、日本人は、医師のような権力者に弱く、権力者には素直に従う傾向が強いです。たとえば、各国政府のコロナ政策に対して、アメリカやイギリスやドイツなどでは猛反発のデモが起こっていますが、日本では、とかく高齢者の利益となるコロナ政策に異を唱える人が少ないです。また、普段は「自分は絶対に嘘をつかない」と決めている人でも、医師から「家族には、こういう風に言っておくとよい」とアドバイスされると、平気でうそをついたりします。
そのほか、ヨーロッパの典型的な人間性を色濃く残しているドイツ人は、言いたいことを端的に率直に話してきますが、それは「私は君と心を開いて会話する気がある」という意味でもあり、ある意味で親しさや信頼の裏返しでもあるのです。たとえば、最初はファーストネームで呼び合っていた関係でも、長い付き合いになると親しさの証として互いに苗字を呼び捨てにして呼び合ったりします。でも、それらの事情を知らないと、「この人は、私にケンカを売っているのだろうか」と誤解しかねないのが、ドイツ人をはじめ欧米の人々との人間関係ですね。
ちなみに、私が通っていた中学受験予備校や中学校では、「ドイツでは、親しくなれば教師のことも友人のことも、 苗字を呼び捨てにする」という理由から、全員を苗字呼び捨てで読んでいましたよ。皆さんは、学友や先生のことを、下の名前で呼んだり、あだ名で呼んだりしていますか? もしそうであれば、親しさの証なのかもしれませんね。