時には自分のエゴや主観を大事にして生きよう。受験を通して欲求や不安を認め合える戦友を作ろう

アシリのKomabouです。本日もブログをお読みくださり、ありがとうございます。
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私は昨夜、ノンアルコールビールかノンアルコールカクテルを買おうとしてコンビニまで行きました。ノンアルコール飲料のほうが、快感が長続きすると聞いたからです。ノンアルコールビールを買い、飲んでから自転車で家まで戻ろうとしたのですが、ちょうどパトカーとすれ違いました。そのとき、「ああ、ノンアルコールの飲み物にしておいてよかった!」と思いました。自転車とはいえ車の一種なので、アルコールを飲んでいたら飲酒運転になりますからね。年の瀬が迫り、電車の中や街などに、イライラしている人など色んな人が増えてきます。皆さんも、余計なトラブルに巻き込まれないよう、ご注意ください。
話が変わりますが、最近、いろいろな健康法を聞く中で、「熟睡のために、寝る前の30分間はスマホをいじらないようにしよう」というのを良く耳にします。でも、かくいう私も、寝る前のリラックスタイムはスマホで調べ物をしたり、論文を読んだりと、なんだかんだスマホをいじってしまうことが多いのですが、これからは寝る前の30分前は読書などに切り替えてスマホを遠ざけてみようかと思います。受験生の皆さんも、寝る前のホッと一息つく時間くらいは、スマホで動画サイトを見たり音楽を聴いたりしたいと思いますが、やはり熟睡は大切ですから、気が向いたら実践してみてください。
さて私は、中学受験して筑波大附属駒場に入学したのですが、中1の最初の授業で、ある文系科目の先生から、「教育とはすなわち洗脳だから、私は教師としてこれから君たちに洗脳を行う」と宣言され、驚いたのを覚えています。でも、今にして思えば、そのように教育を行わなければ、国際派のリベラルエリートは一人も育ちませんよね。国際派のリベラルエリートを育てることは、大事な事だと思います。西洋音楽史のうえでは、フランツリストという作曲家が、ドイツのヴァイマールの宮廷楽長に就任した時、「国際的にリベラルにたなびく危険人物」だと見なされて、保守派から攻撃を受けました。そこで今日は、少し西洋芸術の話をして、ヨーロッパ人の生き方や、ヨーロッパにおける人間性と人間関係を見ていきたいと思います。
私は、先日、ヨーロッパのルネッサンス期の音楽を聴く機会がありました。皆さんの学校の音楽室に肖像画が飾られているようなバッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどはバロック期の作曲家ですから(ベートーベンは、バロック期のあとの古典派時代)、ルネッサンス期の音楽は、バッハより一時代前の音楽となります。
かくいう私は、まだ学部生だった頃、大学の授業でルネッサンス期のマドリガルやモテットという音楽を聴きまして、感情がこめられていない素朴な音楽に心惹かれ、「ルネッサンス期のヨーロッパ人って、なんて素朴で純朴だったんだろう」と感慨も一入(ひとしお)だったのを覚えています。
でも、その後、留学などで長きにわたってヨーロッパに滞在して、彼らも、プライドは高くなくフレンドリーだが、エゴは強く、お互いのエゴを認め合って生きている、長所も短所もある人間なのだと理解しました。そのため、今では、ルネッサンス期のヨーロッパの人々が素朴で純朴だったのではなく、その音楽が理想としている世界や、当時の作曲家が理想としていた世界が素朴で純朴だっただけだと、分かります。また、音楽理論上、バッハやベートーベンの音楽より遅れていて、感情や主張を音楽に込めることが不可能だったことも、ルネッサンス音楽を「素朴で純朴である」と思わせる一因かもしれません。ヨーロッパの人々は、確かにエゴは強いのですが、フレンドリーで、家族でなくてもすぐに友達になれます。
ちなみに、ルネッサンス期の西洋音楽は3声~6声の重唱や合唱が中心で、時代が進んでバロック時代のバッハになると、その多声音楽を受け継いで鍵盤楽器の独奏曲が書かれていき、それがやがてショパンのピアノ曲などに繋がっていくのですね。ちなみに、バッハが作曲した短調の荘厳な音楽は、バッハの死後、ナチス期に至るまで、「ドイツの音楽の権威の象徴」のように崇められていき、ドイツの音楽学者や音楽評論家たちが「ドイツ音楽が、他国の作曲家の音楽より優れていること」を証明するために利用されていくという経緯があります。ナチスドイツ期に、ドイツ音楽を称揚して、戦後になって「ナチスに与(くみ)した」と戦争責任を追及された音楽学者も、ドイツにはいたんですよ。いずれにしても、中世やルネッサンスの西洋音楽を、あまり知られていない同時代の日本の音楽や絵画、文学、芸能などと比較してみると新たな発見があると思います。
ということで、少し話が長くなりましたが、今日の結論は、「日本人は、なにかと言うと自我を抑えることを美徳と感じ、断ることやノーと言うことを嫌がるけれど、時には西洋人のように、自分のエゴや主観や感情を大事にして生きよう。また、エゴや欲求を互いに認め合える友人や知人をたくさん作って、互いの人生を共有しあって素晴らしい人生にしよう」という内容です。
少し西洋哲学っぽいですが、でも大学受験と関連しています。大学受験は、一種の「バトル」ですから、励ましあい力を合わせて受験という「団体戦」を乗り越えた友は「貴重な戦友」となり、大学入学後の長い人生において大切な友となります。大学受験はまた、ヨーロッパのようなキリスト教共同体のない日本社会において、他者と深い絆を養える貴重な機会でもあるのです。
また、受験生は何かとストレスを抱え、不安に押しつぶされる傾向にあり、鬱(うつ)っぽい症候がみられることも稀ではありません。そういう時に、自分の不安や抑圧されているエゴや欲求を吐露できる友人がいれば理想的ですし、また、受験生同士お互いにじっくり話を聞いて鼓舞しあうことで、大学受験のあとも輝く絆が生まれますよ。