日本には、なぜ塾が多いの? なぜ、塾に通わなくてはならないの?

アシリのKomabouです。
本日もブログをお読みくださり、ありがとうございます。
35℃以上の猛烈な残暑が続くようですので、皆さん、くれぐれも熱中症にはお気を付けください。
さて、「猛烈な残暑」に関連して、本日は私が人生で最もアホだったことを書こうと思います。私が大学院生だった時のエピソードです。当時、私は東京都杉並区に住んでいたのですが、夏は40℃近くまで気温が上がっていました。そんな中、異常気象の影響のためか、お盆明けくらいに急に寒くなったのです。そのため、夜、寝る前に自分の部屋の暖房をつけました。そして次の日、部屋にいるときは、ずっと「暑いな」と感じながら過ごしました。その当時は、夕方には水泳をしていたので、寝るときは身体が冷えておりまして、問題なく寝れました。そしてその次の日、起きた瞬間から「暑い、暑い」と感じ、昼になると室内で汗をふき出し、真夏の昼にランニングした後のように汗だくになったのです。そしてエアコンのリモコンを見ると、「暖房」になっていたのです。2日前の夜に寒かったから付けた暖房が、そのままだったのですね。そして、異常気象のような寒さは、もう去っていたわけです。というわけで、真夏に暖房を2日間もつけていたという、ばかばかしい、寒いエピソードで、涼しくなってもらえればと思います。
国際情勢では、アフガニスタンでタリバンが政権を握ったことが話題になっているようです。それに伴って、ドイツなどが国際援助を打ち切ったので、これまで海外からの援助に頼ってきたアフガニスタンの無辜(むこ)の市民たちの将来が心配ですね。また、ロシアのプーチン大統領が、メルケル首相との会談の中で、「欧米側が、アフガニスタンに、身勝手かつ無責任に、政治制度(民主主義)、宗教、社会制度を押し付けてきた結果、こうなったのだ」という挑発的なバッシングを行ったようです。確かにプーチン大統領のいうことは100%間違っているわけではなく、難しいところだと思います。
さて、話題を変えます。「高校受験や大学受験は、一つの通過点にすぎない。どのような卒業論文を書いて、どこに就職して、どのような職域でのキャリアを何年積むかが大事だ」と言った人が、私の周りにいます。私は、この考え方は、奇しくもドイツ人の考え方に近いかなと思いました。
現実的な考え方をするドイツ人は最終学歴主義で、学歴と言えば最終学歴のみであり、卒業した大学のブランドで人を判断することはありません(ただし、博士号を持っている場合は別です)。ましてや、卒業した中学・高校のブランド力などは全くありません。それよりも、その人が今なにをしているのか、たとえば、「ピアニストをしているならピアニストをしている」という事実、「ホームレスをしているならホームレスである」という事実、それが大事です。
それに対し、日本では、名門の中学高校を出たとか、東大・京大を出ているとか、そういったことが一生ついて回るような気がします。私は、それは人を間接的に敬う日本式儀礼態度の現れの一つだと思っています。また、大学院を出ていなくても東大・京大を出た人が偉いとか、大学院が別の所でも出身学部が東大・京大・一橋なら尊敬される、といった点もドイツでは考えられない日本的な特徴です。だからこそ、中学受験、高校受験、大学受験が白熱し、受験の時には塾に通わなくてはならないのでしょうね。もはや日本の文化というか、社会制度の一つです。
また、日本人はドイツ人よりもサービスが上手なので、教え方の上手い塾は、どんどん繁盛していき、結果的に塾の数がどんどん増えていくのでしょうね。また、お隣の国、韓国でも塾文化が繁栄しているのも面白いところです。