一生の人格を形成してくれた『杜子春』と『山椒大夫』

アシリスタッフのKomabouです。
厳しい暑さが続いています。8月中旬にかけて気温がさらに上がって、東京も猛暑日が続く恐れがありますので、塾や学校の夏期講習を取っている人は熱中症に気をつけましょう!
今年のお盆も、帰省できない人が増えそうですね。今が、我慢の正念場だと思います。
先日、地元をサイクリングしていると、サルスベリの花だけでなく、ヒマワリの花をあちらこちらで見かけることが出来ました。最近はヒマワリを見かけないなと思っていたので、一気に嬉しくなりましたよ。
また、最近夏バテ気味だったので、こないだの土日は、我を忘れて爆睡しておりました。そしたら、学生時代は、夏休みに入ると、あるいは冬休みに入ると、とにかく爆睡していたものだと、思い出しました。でも、春休みに入ると、なんだか胸騒ぎがしたりして、眠れたなかったりしたものです。春休みのほうが、気候的には一番良いのですが、若いっていじらしいことだなと、懐かしく思い出しました。
さて、若い頃と言えば、私は日能研に通って中学受験したのですが、国語の授業で芥川龍之介の『杜子春』を読む機会があって、鬼にムチ打たれながらも子供を思う親の心に触れて、そのとき授業中だったけど思わず泣き出してしまったものです。すると、隣の女の子も、その隣の男の子もすすり泣きをしていて、みな授業で『杜子春』を読んで泣いていたのでした。
なぜそんな話をしたかというと、私はつい最近、「子を思う母の心と、母と子の絆」という似たテーマを持った別の作品を読み直したからです。それは、森鷗外の『山椒大夫』です。
人売りに捕まってしまい、遠く離れ離れになった姉弟と母親ですが、弟だけが逃げ切り、生き残り、幸運に助けられながら、母親が売られた佐渡に行きつき、最後は母と息子の感動的な再会で終わります。(ちなみに、「山椒大夫」というのは、冷酷な人買いの名前です)
先日、この小説を読み直した時、中学受験が終わって、余裕のあった幸せだったころに『山椒大夫』をはじめて読み通したことを思い出しました。そして実母にも、その旨を話したところ、「森鴎外の作品は、よい話だと何回か薦めてもらったけど、文体が固くて読むのが難しいよ」と言っていました。
こうやって振り返ってみると、『杜子春』にせよ、『山椒大夫』にせよ、私が小中学生の時に読んだ文学は、大人になっても決して忘れず、ときどき思い出しては思いやりや勇気を与えてくれるし、つらいことを乗り越える強さや創造力(想像力)やインスピレーションの源泉となっています。
感性が豊かな時期に読む文学は、その人の一生の人格を形成してくれるともいえるでしょう。
「活字離れ」も「理科離れ」も、どちらも先進国において進んでいて問題だと言われていますが、私は、受験を通して、活字にも理科にも親しんでほしいと思っています。活字に慣れることは、受験国語で必要な文章読解力や、受験社会で求められる資料読解力を与えてくれますし、受験理科の勉強を通して、広範な知識と科学的思考力を磨くことができます。
そして皆さんが直面している大学受験、高校受験、中学受験が無事に終わったら、春休みは、語学や理系科目の準備をすると同時に、ぜひ、一生の宝となる名著を読んでほしいと思います。
私の中でも、『杜子春』と『山椒大夫』に限らず、若い頃に読んだ名作は宝物です。