【アシリ独占取材】金沢医科大学 医学部医学科に正規で合格したK.N.さん

こないだの春に「金沢医科大学 医学部医学科」に合格した、アシリの卒業生であるK.N.さんに、このたび独占取材することができました! 少々長いですが、女性の医学部受験生の「リアル」がヒシヒシと伝わってきます。ぜひ最後までご覧ください。
・K.N.様。19才。1浪。女性。新潟県ご出身。
・ASIR 受講歴 1 年。完全オンライン通塾。
・金沢医科大学医学部医学科 1 年生。(東京女子医科・補欠)

医学部に進学した理由と今の心境
医学部に進学したかったのは、医学的根拠をもって、人を助けたかったからです。
どうしようもなく辛くて、それでもがんばって生きようとしている人の力になりたかったのです。人それぞれ何でつらいのかわからないし、助けたいけどどうすればよいのかわからないですよね。よかれと思ってかけた言葉が、その人にとって害のある言葉だとしたらと考えてしまいます。
でも、助けたいけど助けられない歯痒さを感じていました。きちんと人の身体の仕組み、心の仕組みなど、人について理解すれば、少しでも人を傷つけるリスクを減らすことができます。責任をもって助けたかったので、医学部に進学したかったのです。
進学した今、テストが頻繁にあります。毎回内容が重いが、落ちたら再試になり、留年につながってしまうので、その恐怖のあまり、「テストに受かればよい」と考えてしまいます。今のところは全部合格していますが、この先に活かそうと思うよりは、テストに受かればよいという考えになってしまいます。落ちたら、安くはない再試験料を払わなければなりません。きちんと理解するところまでいきたいけど、まだその段階にはいけていないです。
受験勉強のときには、こうなるとは思っていなかった。どういう気持ちでいても、目標につながっていないわけではないから、人生捨てたもんじゃないと思います。
実は私、受かったのか、今でも実感がないです。「私は教わる立場から変わったたんだ・・・」と感じています——去年の今頃、グルコースの末端(左・枝分かれ・途中)、メトキシ化のことを考えていました。

現役時のつらい思い出と意気込み
入塾するとき、偏差値は47くらいで、自分の実力がよくわかっていませんでした。「全範囲勉強し直してから受験したかった」と、今思えばわがままなことを言っていました。現役時は、獨協医科、推薦で福井大医学部を受験してダメでした。受験の仕方がよくわからなかったのです。
落ちたとか浪人とかでつらいわけではなく、「自分のペースできちんと全範囲勉強してやってやろうじゃないか」と思っていました。勉強に関しては前向きでした。
現役時は、高校での受験勉強がうまくいきませんでした。自分が必要と思うところを自分のペースでやりたかったのですが、学校という縛りがあって、うまくできませんでした。評定を考えると、学校のこともしなければならなかったのです。
アシリ吉祥寺は勉強以外の面も管理・支援してくれる
ASIRに決めたのは、パンフレット、ネットなどを見て、勉強じゃないところも大事に考えてくださるところが気に入ったからです。勉強だけでなく、生活、性格など、勉強以外の管理も支援してくれました。オンラインカウンセリング、メガロス吉祥寺(スポーツクラブ)など、個人に合わせて辛くなく、効率よく勉強できることを考えてくれている塾であると思いました。
逆に他の医学部予備校や塾が合いませんでした。集団授業だと都会に行かなければならなかったのです。コロナのため、移動が多いのはためらわれるので、オンラインで専門の先生から授業を受けるのがよかったです。地方には医学部受験専門の予備校がないですよね。あったとしても、質がよくわかりません。
入塾したてのときは、英語・数学・物理・化学は週2コマ、国語が週1コマで始めました。どの授業も、「生徒主体」でさせてもらって、私に合わせてやって下さいました。私の希望を寛容に受け入れて、取り入れてくださいました。

暗記をフォローしてくれた指導方法
試験でパニックになって忘れてしまったとしても、公式や解き方を思い出せるように指導して下さいました。特に、化学の「大水平でございます。おー!」が忘れられないです。これは、酸化還元の式を作るときに使います。酸素の数を見て、足りない分を水で補い、水素イオンの数を揃え、電子で揃えます。塩基性のときに、水酸化物イオン(OH-)で揃えて出来上がり。入試でバッチリ書けたし、入試本番、落ち着いて解けるきっかけになりました。「いつものやつだ、いつも通りやればいいんだ」と思えたからです。他にも色々あるが、多すぎてきりがないです。
説得力があった受験生活コーチング
週1回、1時間の受験生活コーチングを受けていました。志望校決定、勉強時間についての相談、気分転換(エクササイズ)の方法についてなどでした。特にありがたかったのは、志望校を決めるとき、グーグルスプレッドシートに、大学・年度ごとに表を作っていただき、過去問を解いた感触を記録して、「見える化」してくださったことです。
受験を考えていた大学を絞り込み、どの大学の過去問を解くか考える時間を削ることができました。他の先生にも共有してくださり、私の状況を把握しながら授業をしてくださったのも良かったです。毎週穏やかに接して下さったのも安心できました。(カウンセリング講師も)浪人経験があるみたいで、他人事ではないという感じで、説得力のあるカウンセリングをしてくださって感謝しています。
「私」に合わせてくれた講師陣
気分や体調が一度落ちすぎると、回復までに時間がかかってしまうが、落ちすぎず上がりすぎず、持続可能な形で自分を方向づけることができるようになりました。夏以降は、全然ブランクなく楽しく勉強を持続できました。ASIRの教室長をはじめ、色々な先生の支えがあって持続できたと思います。私のことを理解してくださるのは、ありがたかったです。一般論では片付けず、個別対応につとめてくださったことが大きいです。「この時期には、チャートを2周すべきだ」などの一般論ではなく、私のペースに合わせてくださいました。
今振り返ってみても、受かったのが不思議でしかないです。金沢医科と女子医以前に受けた医学部は一次落ちだったのに、金沢医科と女子医は一次を通り、金沢医科は正規で合格したのは、本当に不思議です。本当にうれしかったです。今でもうれしいですよ。今にも崩れそうな橋を渡って、ダイヤモンドをつかんだ気持ちです。

最後の追い込みについて
最後の追い込みは、毎日過去問を解きました。「これは絶対解かなきゃいけない、秒で解けなきゃいけない」ものに集中してやりました。ペース維持と、忘れないためです。本番を想定して続けました。椅子をあえて高くしたり低くしたり、場所を変えたり向きを変えたり・・・
どのような状況でも、自分のペースでできるようにしました。今まで書いてきたノート類の山を見て、「私はこれだけやったんだ」と自分に言い聞かせて、落ち着いて勉強しました。見直ししなきゃいけないと思ったものは、見直し用のノートやファイルを作り、時間ができたときに見直していました。
実際の受験校・・・合格!
東邦、自治医科、藤田医科、久留米、金沢医科、東京女子医科を受験しました。金沢医科は物理以外はやりきったという感じでした。女子医は5割いったかという感じでした。東邦は英語の時間が足りなかったです。自治医科は出題ミスが多く、試験中に訂正され、対応が難しかったです。藤田医科は記述で、時間は足りましたが、難しかったです。久留米はマークシートの塗り方が難しく、パニックになってしまいました。試験監督を呼んで、この塗り方でよいか尋ねました。
東邦、自治医科、藤田医科、久留米は1次に落ちて、ショックはショックだったが、特に自治医科は新潟県内で競っているのに負けてしまったので悔しさもひとしおでした。何のために浪人したのだろうと思ってしまったものです。そんな時、家族は、「難しいものね」と冷静に受け止めてくれました。
そんな中、金沢医科の一次を通過したことがわかったとき、私は目を疑いました。「なんで受かったの? 二次試験に行かなきゃいけないじゃん。スーツ着ないと、ストッキング買わないと!」と思ったほどです。家族は、「え!?そうなの!?良かったじゃないの。電車とらないと」と言ってくれました。でも、最終合格になるまではそこまで喜ばず、冷静に対応してくれました。
いよいよ金沢医科大学の医学科に正規で合格
2次試験は、金沢医科では集団面接で、小論文もありました。小論文の相性がよく、練習もしていったので、今までで一番精度よく書けました。集団面接は3人のグループですごく楽しくやれました。手元に質問カードと自分の意見を述べるものがあって、3人とも異なります。それを書いて、3枚のうち1つ選んで、それについて議論するというものでした。私は、問題発言しかしていなかった気がします(笑)。沈黙が発生したほどです。
しかし、全体的には穏やかに進んでいきました。女子医科は個人面接で、3人の先生と1人の受験生でした。事前に志望理由書を読み込んでおられて、深いところまで質問されました。事前に準備していたよりも深いレベルまで聞かれたので、かえって自分の言葉で話ができました。
東京女子医科の2次試験が終わった段階で、医学部受験の前半戦が終わり、後期の準備を始めていました。どうせダメだろうし、後期に専念したかったので、金沢医科の2次試験の結果発表日を知りたいとも思わず、発表日当日は寝ていて見ていなかったのです。普通に生活していました。
次の日も、遅くまで寝ていましたが、インターホンが鳴って、母が出て郵便を受け取って「金沢医科大学入学センターの分厚い封筒が届いた」と持ってきてくれました。「おい、起きろ起きろ、なんか届いたぞ!」と起こされ、「えー、ねむいー」といって目を開けたら、目の前に夢が広がっていました! 不合格通知をこんなに分厚い封筒にするかねと思って開けたら、1枚目の紙に「合格」と書かれていたからです。
うれしさのあまり、お世話になった祖母に電話したり、父にLINEしたりしました。人前で普段泣かない祖母が泣いていたため、心配してくれていたのだなと思って、その時になってようやく合格できたと実感できました。

無事に医学科に受かり安堵と「幸福な悩み」と
その日から、もうパラダイスでしたよ。「もう微分しなくていい!積分しなくていい!」と。
これまで我慢していたSNSをどうしようか、と迷いました。まずはASIRに報告しないと、感謝しないとと思って報告して、それから自分のことをしようと思いました。あれこれしたいなと思ったけど、そういうのを考えるのも面倒になって、猫と遊んでいました。
封筒が届いたので、安心して合格発表のホームページを見ることができました。そして、自分の番号が載っていて、感動のあまり思わず「おー!」とため息が出たほどです。
「大水平」がなかったらダメだと思いました。1つ1つの選択が良いように重なって、今に至りました。一生の運を使い果たした気分です。運が良すぎて、ついていたと思います。
女子医科の2次試験結果は当日見ましたが、合格者番号に無かったのでそれっきりでした。でも、女子医科から封筒が届き、「補欠88番」ということがわかりました。あらためて、ホームページを調べたら、補欠のところに入っていました。既に金沢医科の入学手続きをしていたので、もし回ってきたらどうしようと考えていました。こんな幸せな悩みはないと思いました。結局、回ってきませんでしたけど、私、金沢医科に行けるので、もういいかなと思いましたね。それで、自動車学校に通い始めました。
改めて医学科受験を振り返って
一般的に言われている傾向やおすすめとかあるけど、自分にあてはまるとは限らないので、外部の刺激に敏感になりすぎずに、自分で考えてやっていっても大丈夫です。
他の予備校に行かなければならないのではないか、他のテキストを使った方がいいのではないかと不安になるかもしれませんが、自分が自分のためになっていると実感できるのであれば、全然心配する必要はないですよ。自分の意思、自分がどうしたいかも聞いてあげることです。自分自身を無視しないようにしましょう。
親にお金を出してもらってるし、自由にも制限があります。世の中には思うように勉強できない状況がたくさんあることを考えると、自分の夢のために努力できることに感謝しています。それを忘れてはいけないですね。
そういう環境があってこそ、自分で選択できる自由があります。恵まれた環境であることに感謝したい気持ちでいっぱいです。そのうえで、自分が自分のためにできることをすれば良いですよ。
アシリの感想と受験生へのアドバイス
ASIRで勉強して医学部へ進むことができて、感謝しかないです。最初の決心である「自分のペースできちんと全範囲勉強してやってやろうじゃないか」について、ASIRで達成できましたから。
これを読んでくださった受験生の皆様、持続可能な形で、勉強も生活もがんばってください。自分自身がどうしたいのか、自分の声にも耳を傾けてください。自分でしっかり考えた上でなら、どんな結果になってもそれを受け止め、対処し次に繋げることができるでしょう。
金沢医科は、はじめは候補に入っていませんでしたが、入学してみて、今はすごく良いです。入って本当によかったです。先生方、同級生、先輩が最高です。家族のみんなには、私の意志を尊重してくれて夢を追い求め続けられる環境を築いてくれてありがとうと伝えたいです。
各科目ごとの感想
【英語】アップグレード、システム英単語は1年通して使っていました。春〜夏は文法と単語、夏期から文法・単語・発音の演習、読解をひたすら行いました。時間をはかって解きました。読解は、講師が持っていた過去問を解いたり、1日1回は読解しないと点数が落ちてしまうので、東進の過去問データベースやパスナビから問題をダウンロードして、あらゆる大学の過去問を漁って解きました。色々な傾向になれる為です。授業では、英文や考え方を声に出して読んで、先生に指摘してもらいました。
【数学】夏までは、数 IAIIBIII の教科書の基礎をフォーカスゴールドを用いながら実施しました。チャートとフォーカスゴールドは参考書として用い、先生が提示した教科書の章末問題を全範囲行いました。抜けていたところを確認できました。夏以降は、数 III は受験に手が出ないレベルだったので、数 III はフォーカスゴールドを解きました。IAIIB は過去問演習を実施しました。時間をはかって間に合うようにしていきました。
【物理】夏までは、講師オリジナル教材を用いて全範囲を実施しました。公式を導いたり、問題を解いたりしました。それ以後は、レベルアップした問題を解いて、授業時に解説を受けました。過去問は、自分で解きました。解説が必要なもののみ、授業時に説明してもらっていました。
【化学】夏までは、教科書を先読みして、セミナーで問題を解きました。定番の問題を必ず解けるように、一つ一つの語句の意味を説明できるようにしました。夏からは重要問題集を解いていきました。そこに載っていない頻出問題は、先生のオリジナルプリントで解きました。過去問は自分で解いて、説明が必要なもののみ、授業で聞いていました。